FC2ブログ
山梨・3つの日本一のすすめ
現代画報7月号より

山梨といえば芳醇なスイーツの産地。
中でも生産日本一にあげられる「ぶどう」が有名だ。

山科の大自然の中でそだったぶどうは甘くて瑞々しく
ワインなどにしても評価が高い。

そんな山梨県の中でも勝沼といわれる町では、
ぶどう収穫に感謝し豊作を祈る【ぶどう祭り】が
毎年開催されている。

祭りの一環として行なわれる「鳥居焼き」は
山肌に鳥居を焼く京都の大文字焼きもビックリの
スケールだとか。

それだけでなく、ぶどう祭りというだけあり、
ぶどう食べ放題やワインの飲み放題などぶどう産地
ならではの催しがあるそうだ。

こうした産地ならではのお祭りは、たとえ昔から続いた
由緒あるものでなくても、どんどん新しく開催していけば
いいと思う。先述のぶどう食べ放題などは、他県の観光客に
アピールできる内容だし、どれだけ地域を愛しているかという
地元の人たちの思いは、他県から見ていても
幸せな光景であるし、なにより、他地域や地元地域の人たちの
コミュ二ケーションがそこにある。

詐欺や殺人や偽装などで罪のない人たちが被害にあっている暗い世の中の背景には、コミュニケーション不足が多々叫ばれているように、コミュニケーションの復活は少なからず次代をよくするだろう。

隣の地域や自分の地域を評価し合える楽しいお祭りが各地で開催されることを夢見たいと思う。いち時代の終幕
90年代の音楽シーンを担ってきたとも言っていい人が
詐欺容疑で逮捕されたというニュースがここのところ毎日流れている。

庶民である私は、毎日スーパーで190円のトマトにしようか
250円のトマトにしようかと迷いながらも、
当たり前のように190円のトマトをかごに入れる。
でも、早く250円のトマトが買える豊かさがほしいと
願っていても、たとえ多少の出生でお金が稼げたところで、
250円のトマトは私にはいつまで経っても買えないのだと思う。

おそらく私は、金銭的な豊かさをもっても、トマトの優先度を下げて
いい車を買い、いい家を買い、遠くへ旅行に出かけてしまうのだと思う。
結局のところ、節約している箇所(=250円のトマトトマトを買うこと)
が変わることは、宝くじの1等前後賞付で当たらない限りは
訪れることはなく、ずっと庶民でい続けるのだと思う。

それでも私は、ひろい家に住めるのなら、190円のトマトは
いつまででもおいしく食べられる。なんなら100円のトマトでもいい。


渦中の音楽家も、トマトは250円を食べていたかもしれないが、
どこかで同じ節約をしていたのではないかと思う。
10億を稼げば、5億を必要とする事業をするだろうし、
1億円の買い物をいとも簡単にするだろう。
豊かさの度合いや感覚は違うが、全体の割合は
案外私達とそう変わらないのかもしれない。

一度頂上まで上り詰めてしまった人が、
次に目指すのは、更に高い山の頂上だ。
簡単に買える250円のトマトでは満足できない。
190円のトマトを美味しく食べるには、
250円のトマトを買えない生活をしなければいけない。

大きな山へ何度も何度もくじいて転びながら上ったのであれば
山の下へ戻る方法は一気に崖へ転落する以外はないのかもしれない。

ただ、もう深い崖の下を見たのだから、それ以上の下はもうない。
100円のトマトも190円のトマトも美味しくありがたくいただける。
美味しい250円のトマトを食べられる努力を知っているのだから、
後は上を見て、これまでの知恵を生かして素早く上ればいいのだ。

90年代はとっくに終わって2000年が既に始まっている。
2010年代、20年代が先には待っていてくれるのだから、
着実にそこに向かえばいいのだと思う。いち時代の終幕
90年代の音楽シーンを担ってきたとも言っていい人が
詐欺容疑で逮捕されたというニュースがここのところ毎日流れている。

庶民である私は、毎日スーパーで190円のトマトにしようか
250円のトマトにしようかと迷いながらも、
当たり前のように190円のトマトをかごに入れる。
でも、早く250円のトマトが買える豊かさがほしいと
願っていても、たとえ多少の出生でお金が稼げたところで、
250円のトマトは私にはいつまで経っても買えないのだと思う。

おそらく私は、金銭的な豊かさをもっても、トマトの優先度を下げて
いい車を買い、いい家を買い、遠くへ旅行に出かけてしまうのだと思う。
結局のところ、節約している箇所(=250円のトマトトマトを買うこと)
が変わることは、宝くじの1等前後賞付で当たらない限りは
訪れることはなく、ずっと庶民でい続けるのだと思う。

それでも私は、ひろい家に住めるのなら、190円のトマトは
いつまででもおいしく食べられる。なんなら100円のトマトでもいい。


渦中の音楽家も、トマトは250円を食べていたかもしれないが、
どこかで同じ節約をしていたのではないかと思う。
10億を稼げば、5億を必要とする事業をするだろうし、
1億円の買い物をいとも簡単にするだろう。
豊かさの度合いや感覚は違うが、全体の割合は
案外私達とそう変わらないのかもしれない。

一度頂上まで上り詰めてしまった人が、
次に目指すのは、更に高い山の頂上だ。
簡単に買える250円のトマトでは満足できない。
190円のトマトを美味しく食べるには、
250円のトマトを買えない生活をしなければいけない。

大きな山へ何度も何度もくじいて転びながら上ったのであれば
山の下へ戻る方法は一気に崖へ転落する以外はないのかもしれない。

ただ、もう深い崖の下を見たのだから、それ以上の下はもうない。
100円のトマトも190円のトマトも美味しくありがたくいただける。
美味しい250円のトマトを食べられる努力を知っているのだから、
後は上を見て、これまでの知恵を生かして素早く上ればいいのだ。

90年代はとっくに終わって2000年が既に始まっている。
2010年代、20年代が先には待っていてくれるのだから、
着実にそこに向かえばいいのだと思う。

報道ニッポン
現代画報
現代通信社
国際通信社
国際ジャーナル
スポンサーサイト



2009.01.28 Wed l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://kokusaijin.blog24.fc2.com/tb.php/646-138832de
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)